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ニキータ・アレクセーエフ、作品と日本について語る

公開セミナー「ニキータ・アレクセーエフ、作品と日本について語る」

ロシアの著名な現代美術作家ニキータ・アレクセーエフ氏をお招きし、日本文化との出会い、70年代ソ連における日本文化(芸術、文学、思想、映画)の流行、ご自身の創作を中心とするロシア現代芸術への日本文化の影響についてお話を伺います。

本セミナーは、千葉大学文学部(国際言語文化学コース)の専門科目「ロシア
文学演習」の一環として開催され、セミナーはロシア語で行われ、日本語への通訳は部分的なものとなりますが、専門的な関心をお持ちの方を主な対象として公開いたします。

 日時:2016年12月14日(水)14:30-15:30 (開場 14:20) 
 予約不要・入場無料 
 講演者:ニキータ・アレクセーエフ(現代美術作家) 
 司会:鴻野わか菜(千葉大学文学部・准教授) 
 使用言語:ロシア語

会場:千葉大学西千葉キャンパス 千葉大学文学部棟2階演習室21 
千葉市稲毛区弥生町1?33 (総武線各停「西千葉駅」より徒歩8分、京成「みどり台駅」より徒歩5分) 

西千葉キャンパス構内図 http://www.chiba-u.ac.jp/campus_map/nishichiba/

問い合わせ先:鴻野わか菜
E-mail: kono@chiba-u.jp (@を半角に変えて下さい)

主催:千葉大学文学部

*本セミナーは、科学研究費基盤研究(C)「現代ロシア文化における文学と視覚芸術の相互的影響の解明」の助成を得て開催されるものです。

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〈ニキータ・アレクセーエフ氏略歴〉
1953年、モスクワ生まれ。芸術家と交流の深かった両親の影響で、美術作家ドミートリー・クラスノペフツェフ、オスカル・ラビン、アナトーリー・ズヴェーレフらを早くから知り、1967年にミハイル・ロギンスキーの作品を見て深い影響
を受ける。
1964 年から 76年にかけて、スリコフ記念美術大学付属中学校、 1905年記念美術学校、印刷芸術大学等で学んだ。1969年にアンドレイ・モナスティルスキー、ニコライ・パニトコフ、レフ・ルビンジュテインらと知り合い、美術、ジョン・ケイジなどの現代音楽、現代詩、禅や仏教をはじめとする東洋文化への関心を共有し、芸術家グループを形成した。1970年代初頭には、イリヤ・カバコフ、イワン・チュイコフらとも交流を重ねた。

1970年代半ばから、モナスティルスキー、パニトコフらと共に、ソ連体制下の管理された都市空間を離れて郊外でパフォーマンスを行う〈集団行為〉の活動を展開。70年代末には、ムハモール・グループ、ワジム・ザハーロフ、ユーリー・アリベルトらとも交流している。

1982年から84年にかけてモスクワの自宅のワンルーム・マンションをインスタレーションに変えるグループ展を開催し、それを〈APTART〉(〈Apartment〉と〈Art〉から成る造語)と名づけた。アレクセーエフの〈APTART〉は、ソ連の非公認作家が居住空間でしか作品を展示できないという状況に焦点を当てた政治的メッセージ性を持つもので、〈集団行為〉とは別の方法で都市空間の統制を問題化するアクションだった。

1987年にはフランスに移住。パリでグラフィックの連作やアーティスト・ブックを制作したが、1993年に帰国。ギリシャ、モンテネグロ、イタリアなどのレジデンス先やモスクワで、詩のような断片的なテクストをかきこんだ水彩画、アクリル画の連作を多数制作している。

創作テーマは多岐に渡るが、代表作に、日本の伝承「箒木」に基づいた連作ドローイングがある。ソ連では1960?80年代にかけて日本文化が一大ブームとなり、多くのソ連人が日本への「精神的な亡命(内的亡命)」をソ連の過酷な日常を乗り切る手段としたが、アレクセーエフ氏も日本文化を深く愛し、自伝的著書『記憶の連なり』(モスクワ、新文学展望社、2008年)等にも日本の古典・宗教・文化・伝承についての言及が多数見られる。2017年には、日本数カ所での初の展示を予定している。